前回の「鎧」の話から派生して・・・
三田藩は九鬼嘉隆から興った大名で
江戸時代有馬から三田にかけて治めていました。
九鬼氏は藤原北家熊野別当の末裔で紀伊国牟婁郡
(現在の三重県尾鷲市)で起こり、志摩国鳥羽藩
(三重県鳥羽市)を拠点に九鬼水軍を統率し信長の
本願寺攻めや秀吉の朝鮮出兵で水軍総督を務めた大名です。
秀吉亡き後の関ヶ原では東西に親子で別れて参加し
家名を残した九鬼家ですが(真田家もそうですね)
守隆の死後、五男の久隆と三男の隆季との間に
家督争いが起こり水軍力を恐れた徳川家光はこの
家督争いを理由に九鬼氏の石高5万6千石を分割、
内陸の三田と綾部に移封させました。
これにより九鬼氏は鳥羽の地と水軍を失い、
宗家を三田に移し廃藩置県までの約240年間
三田藩を統治しましたが海のない内陸藩であるにも
関わらず水軍を持ち訓練は欠かさなかったようです。
営業企画課 西浦圭司
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